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鍵っ子への憧れ、人と繋がることの喜び。

鍵っ子に憧れた。決してkey信者のことではない。
自分の家の鍵を持って学校にくる人たちに憧れた。
家の鍵を持つこと、それは立派な大人の証だと信じて疑わなかった。
鍵を持つ、その先の"大人"というものにひどく憧れた。
だから、僕の中では鍵を持っているということ、それだけでひとつのステータスだった。


下校すると、家には鍵がかかっている。
鍵を開けてドアを開ける。
「ただいま」と発する自分の声が虚しく響く。
家の中には誰もいない。「おかえり」という声は決して返ってこない。
テレビをつけて、テーブルの上においてある置手紙とおやつを見る。
テレビを見ながら、ゲームをしながら、あるいはマンガを読みながらおやつを食べ、自分だけの時間を過ごす。
夕飯の時間には親が帰ってきて、家族でご飯を食べる。

こんな光景に僕は憧れた。
家に誰もいないことが無性にうらやましかった。
僕にとって、彼らは大人だった。


中学に入学して、僕も自宅の鍵を学校に持っていくようになった。
鍵を持ってはいたけれども、その鍵を使うことはほとんどなかった。
ただ、鍵を持っていただけだった。家にはたいていいつも親がいて、ドアに鍵はかかっていなかった。
高校に入っても状況は変わりなかった。


大学に入学して、一人暮らしをはじめた。
一人暮らしをはじめてすぐには、ネットもテレビもなかった。
僕はひとりだった。
「ただいま」と言って「おかえり」と反応が返ってこないことが寂しかった。
家にいても誰もいない。誰も帰ってこない。
あまりに寂しくて泣きそうになった。
もし、小学生のときに自分が鍵っ子だったのなら、こんな気持ちで日々を過ごしていたのかもしれない。
家に帰りたくない、そう思っていたかもしれない。
親から電話が来たときは、涙声になっていた。恥ずかしかった。
寂しさを紛らわすため、日記を書き、家計簿をつけた。
しばらくして、テレビが運ばれ、パソコンがインターネットに接続された。
それ以来、寂しさを感じることはほぼなくなった。


きっと自分は人と繋がることを強く求めているのだろう。
ネットに繋げるようになって真っ先にしたことは2chの自分の大学のスレッドを見ることだった。
書き込みもした。反応が返ってきた。それだけで嬉しかった。
顔も名も知らぬ誰かと、画面を通したコミュニケーションだけで嬉しかった。
中学の友だちとメッセンジャーで会話をした。
楽しかった。こうやって会話ができることが嬉しかった。
人と繋がること、それがこんなにも嬉しいんだと、そう実感した。


そうして今では、少ないながらも大学で友だちがいる。
自分のいろいろな部分を曝け出しても大丈夫なTwitterという場がある。
顔を付き合わせたリアルな繋がりも、顔も知らない人との画面を通した繋がりももっている。
きっと、僕は幸せなんだろう。
僕と繋がっていてくれるすべてのひとにありがとうを。