恐れずに、一歩を踏み出して

Twitterのログをまとめて貼るだけの簡単なお仕事。
ブログのためにうまくまとめられないことでも、140文字の制限の中でならつらつらと書き綴れる。

誰かのポストに反応してポストして、そのポストがまた誰かに影響を与えて。
人の話を聞くことで、自分の考えも変わって。
こういった化学反応の場がTwitterなんですよね。すごく居心地がいい。


以下、ログまとめ。










































































































Sebastianus ツイッターをしていると、あーこの人とはリアルでも相性いいだろうなーという人が数人は見つかる。その中で一人くらいは長いお付き合いになるような人が出てくると思う。 link
Sebastianus ミクシーで出会った面白い奴とは頻繁には会っていないが、これからも付き合い続けるんだろうなーという人はいる link
Sebastianus たとえば、私が恋人とであった某SNSで私は気の合う人10人以上と出会ったが、その中でリアルに気の会う人は半分以下だったが、その中から一人とお付き合いすることが出来た。 link
Sebastianus 変な言い方だが、これくらいの打率でなら、お付き合いする機会は生じると思う。うん、会ってみるのが一番だよ link
Sebastianus 最後はやっぱり、勇気をだして一歩踏み出して、失敗しても挫けずにまた一歩だすことが重要なんだと一般論になるが、それしかないと思う link
Sebastianus 男じゃ勿体無いと言われたことなら何度か・・・失礼な link
Sebastianus 利用されてポイ捨てでもいい。それで学べることは沢山あった。 link
Sebastianus 変な人とか、嫌なひととか気の合わない人とか沢山いる!そりゃあ、自分とピッタリ気の合う人なんてリアルだって見つけるのが難しいんだから ネットでだって難しいよ link
Sebastianus 恋人には意外と言えない本音があって、こういう場所はありがたいです link
Sebastianus ごちゃごちゃ考えて自分を狭くしていないで、可能性を開くために行動してみるのもいいと思う。実際してみるまで偏見で嫌だと思っていたことが、してみると自分の趣味になったりすることあるでしょ? link
Sebastianus モエというは、分かりやすくていいと思うが、私は何々モエだということで、自分の可能性を閉じてしまうことになるのはマイナスだと思っている。 link
Sebastianus 私は眼鏡コンプレックスから眼鏡をしている女性に対しても良い思いを抱いてはいなかったが、実際お付き合いしてみると、眼鏡っ子もいいよね!となったりした link
Sebastianus 自我なんていうものは半分幻想に近いし、その都度その都度立ち表れる消えていくコミュニケーションにも目を向けるべき link
Sebastianus たとえば、ケバイといわれるギャルだって話してみれば良い奴で仲良くなったりできたりもする。 そういう可能性があるのに偏見や思い込みで持って可能性を閉じてしまうのはやっぱり勿体無いと思ってしまう。 link
Sebastianus 演技でも虚栄でも仮面でもいいから、振舞ってみることには価値があると思う。 そしてそのうち、その仮面をとってもいいんだよと言ってくれる人が現れると思う link
Sebastianus ある女性から、貴女が仮面を被って泣いたりしていることは分かるけれど、私はその仮面にあまえることしかできなくて、ごめんねと言われたときは泣いた link
Sebastianus いや、違うね!その夢が破れて挫折しても再び立ち上がることが素晴しいんだ! RT @wisesaw: 素晴らしい人生、 それは青年時代に考えたことが壮年になってから実現されることである。 (A.d.ヴィニー) link























Anklang 最近一歩勇気を出すのはむかしより出来るようになった気はしますが、やっぱり失敗がかさむと挫けますね。いろいろと。そこが最近の課題。 link
Anklang 本音を出したコミュニケーションの旨味を一度知ってしまうとやはりそれを求めてしまうものだし、必要以上に自重する必要はないとは思いますが、やはり本音で話すってことのコストは安くはないと思う。 link
Anklang 必要以上にアクの強い感じに自分をデフォルメしとくとわりとラク link















































phorni 何よりも会ってみること、が大事なんだろうな。一人と会って、その人と長い付き合いをするんじゃなくて、たくさんの人と会って、そのうちの一人と長い付き合いをするようにしないといけない。たくさんの人に会うのは怖いけれども。 link
phorni 勇気を出して、一歩を踏み出して、立ち直れないほどのひどい失敗して挫けてしまったら、またもう一歩踏み出すことができるんだろうか。失敗を恐れて動けない人間が言えることじゃないけど。 link
phorni 他の人よりも小さく一歩を踏み出して、そこで怯えてる。いろんなことを考えて気持ちが落ち込んで動けなくなる。いつも嫌われているんじゃないか、迷惑なんじゃないか、という思いが少なからずある。 link
phorni だからといって、嫌い?迷惑?とは面と向かって言えないから、ずっとその思いがどこかにあって、いつもなんとなく線がある気がする。 link
phorni 何よりも他人の目が気になる人間だから、新しいことをするのは怖い。自分がどう思われているのか勝手に想像して、マイナスのスパイラルに入り込んでどんどん汗が出てくる。自分の普段の範囲の中では新しい行為ができない。普段の範囲から外れた場所だと結構自由に振舞える。 link
phorni 自分の性向ってなかなか変えられない。ポジティブに考えよう!と思っても、それは自分を覆い隠す膜みたいなものなんだと思う。ふとした瞬間に膜の下にあるものが表層に浮かんできて、膜を破いてしまう。破いて貼って、いつかは変われるのかな。 link
phorni いつか膜の下の自分を認めてくれる人が現れるよ、って考えはすごい素敵だ。なんだか涙が出てきた。救いがあることを信じるだけで、人は頑張っていけるかな。でも、みんなに認められたいという傲慢な考えが捨てきれない。 link