第二次性徴期・思春期はいいものです
少女は14歳が一番輝いていると思っている自分が、第二次性徴期*1、つまるところ思春期の魅力というものを昨日の深夜にぽつぽつとTwitterにpostしていたものを一つの文章にしてみようと思う。
第二次性徴期の魅力ってのは"アンバランスさ"という一言に集約されるんじゃないかな、と思っている。こころとからだがこどもからおとなへと成長する時期、こどもとおとなの中間にあるというアンバランスさ。中学生になって初めて触れる「先輩・後輩」という人間関係、小学生のときのそれからさらに発展した「友だち・親友・恋人」という人間関係、それらの人間関係の間で揺れ動く感情のアンバランスさ。
こころとからだ、人間関係について真剣に悩み闘えるのは思春期の特権だよなといつも思う。
彼らが悩んでいることは、大人から見れば「そんなの当たり前だろ」「それが現実ってやつだよ」「そんなことどうでもいいだろ」とか思っちゃうようなことなのかもしれないけどさ、彼らは真剣に闘っているんだよ。
中二病乙wとか馬鹿にするけど、中学生の頃からよほど世界について知ってしまっているような人間でなければ多かれ少なかれ似たようなことを経験しているだろ。いや、自分が経験しているからこそこうやって馬鹿にするんだろうけどさ、君の経験した中二病的な部分は、君に何ももたらさなかったのか?それがもたらしたものが今の君に影響を与えてないのか?と問いたいよ。
自分自身が未だにこの時期の想いから抜け出せていないというのもあるけど、この時期に悩み苦しんだことは、大人になれば「なんでこんなことに悩んでいたんだろう」と思うかもしれないけど、悩んでいる本人たちにとっては切実なものなんだよ。大人たちはそれを馬鹿にするでもなく、呆れるのでもなく、静かに見守っていてあげないと駄目だよ。
だから僕のことも静かに見守っていてくださいw
14歳ってさ、中学2年生じゃん。中学生活二年目。一年中学校で生活してきて中学生活にもだいぶ慣れた。今まで先輩しかいなかったところに新たに後輩というあたらしい人間関係ができた。高校受験というプレッシャーがなくて、一番だれる時期だと先生方はおっしゃりますが、こんな時期だからこそ真剣に悩み、闘っているんだよ。
去年のNHK合唱コンクール中学校の部の課題曲「手紙〜拝啓、十五の君へ〜」って曲があるけど、あれを初めて聞いたとき僕はなぜか泣いていた。
大人と子どもの間にある体、身体の微妙な変化、それに喜び怯える感情。誰もが大なり小なり経験してきた道であるから共感を得やすいし、感情の揺れ幅が大きいということはそれだけ物語が重厚になる。
その重厚な共感しやすい物語が、僕の心の中に圧倒的な質量をもって入り込んできたのかもしれない。
3月頃にNHKでこの曲についての特別番組があった。今の中学生が、将来の自分に向かって書いた手紙を読んだりしていた。
十五の僕には誰にも話せない悩みの種があるのです。未来の自分に宛てて書く手紙なら、きっと素直に打ち明けられるだろう
そこに出てくる中学生はほとんど女の子だった。女の子の方が感受性が強く、男の子の方が自意識が強いんだろうな、と僕は思った。彼女らは人間関係に悩み、勉強に悩み、将来に悩んでいた。
一緒に番組を見ていた父親が「あぁ、今の子は大人っぽいなぁ」とつぶやいていたが、それは違うんじゃないかと思った。
大人っぽいんじゃなくて、「早く大人になりたい」という想いが強いだけなんだろう、と。
大人になればこの悩みの答えがわかるに違いないと、そう考えているのではないだろうか。
今 負けそうで、泣きそうで、消えてしまいそうなときは、誰の言葉を信じ歩けばいいの?
未来の自分に語りかけるその手紙は、大人ならこの悩みの答えをしっているんじゃないかという期待の現われなんじゃないだろうか。
でも、未来の自分は、こう手紙に記した。
大人の僕も傷ついて眠れない夜もあるけど、苦しいなかで今を生きている
大人だってわかっちゃいないんだよ、と。わかったふりをしているだけなんだよ、と。
だから今の自分の想いを信じて、信じ続けてくればいいんだよ、と。
だから、今のその悩みを大切にしなくちゃいけない。僕はそう思った。
今の時代は、インターネットという匿名で自分の想いを綴れる場があるから今の14歳は楽に生きられるのかな、と思ったけれど、インターネットと言う人間の本性がむき出しにされる場所で、傷つきやすい14歳の心はばらばらに砕かれてしまうのかもしれないですね。
なんだか冗長な文章になっちゃったし、何を言いたいのかさっぱりなんだけれど、一番いいたかったことは、ふくらみかけとか生えかけって最高に可愛いよねということなんだったんだけどな。
やっほー! ふくらみかけ最高!フゥー!! 生えかけ最高!イェーァ!!
*1:あれ?これって造語?