ほんとに雑記。

気がつくと最後の日記からもう1ヶ月が経っていて、7月は終わり、東北地方は梅雨明け宣言のないまま秋への移行期に突入したらしい。
今年の東北には夏がなかった、というのが気象庁の見解になるんだろうか。
「夏がなかった」と言われると、暑さが苦手で夏が苦手な僕でもちょっと寂しい気持ちになるもので、これは、春でも秋でも冬でも同じことを思うんだろうなーなんて思いながら、日本の四季ってやつはやっぱり日本人にとっては特別なものなんだなーと思ったりした。


今、僕は東北を離れて地元である長野に帰ってきています。
実家にいるというのはまぁ暇なもので、パソコンは居間にあるから家族がいる時間帯にはTwitterもネットサーフィンもできないわで、昼間はだいたいテレビを見たりしながら一日中ごろごろして過ごしているわけです。
暑い日は、クーラーの効いた涼しい部屋の中で、ゴロっと大きな窓の横に転がりながら、高く青い空を見上げてぼーっとしたり、夕方になって涼しくなってきても、塾から帰ってきた弟相手に遊んだりなんかしてます。
実家にいるっつーのは、一人暮らしをしているときと比べて何が一番違うかって、話し相手がいることですよね。
弟は今年高校受験、父も兄も母も働いているんで、ずっと家にいるのは僕くらいなもんなんですが、それでも、話し相手がいるということがどれだけよいものか、ということを思いますね。


Twitterをやってると、思いついたことを整形しないでばんばん垂れ流して自己完結しちゃうんで、なかなかこうやって日記を書こう!って意識が生まれてこないといいますか、ネタをTwitter上で流せばそれでいいか、って思っちゃうんですよね。
一度Twitterで書いたことを、もう一度記事という形に整形するのがめんどくさいというのが本音なんですけど。
なんかいろいろ、こうやって記事にできそうなことをつぶやいてた気がするんだけど、どんなことつぶやいてたかよく覚えてなかったり、過去発言を遡っても、そのとき思ってたことはそのときのものでしかなくって、そこに後からいろいろと肉付けしようにもうまくいかなかったりするんですよね。


とまぁ、言い訳はこんな感じで。
(自分が思う)ちゃんと素敵な記事でなくても、あくまで日記みたいな形でいろいろ書いていけばいいのかなーと思ってます。
Twitterにpostするのと、ブログに記事をアップするのとじゃ、手間の問題ではなくて完成度の問題で、どうしても敷居が高い気がするんですよね。
その中間にあるのが、自分にとってはmixiの日記なんですけど、あっちはあっちでいろいろ気を使って書かなきゃならんので面倒くさかったりするんですよ。
文章を書くのは好きでも、ある程度の完成度を自分の中でも設けたいし、完成度が高くないと見せるのが恥ずかしいと思っちゃうタイプでして、当たって砕けろ的な行動が苦手なんですよね。
この辺は自分でも変えていきたいところなんですが、20年間染み付いたものを抜き取って新しい色に染めていくってのはなかなかに難しい。自分の性向ってのはそう簡単に変わるもんじゃないですよ多分。(人生経験少ないから断言できない。)