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ブログに文章を書くことの敷居の高さとか

今日、というかもう昨日なんだけど、夕飯にオムライスを作った。
大学に入学して親元を離れて一人暮らしを始めてからもう2年半ほど経つけれども、ちゃんとした、というのもおかしい気もするけれど、レシピ本に乗っているきれいな写真のような料理を作ったことなど数えるほどしかなく、大抵は我流で失敗するか、我流でなくても失敗するかだ。
オムライスというやつは、ご飯を多く取るふとっちょ大学生としては、フライパンいっぱいに卵をひいてもご飯の量が多すぎるために上手に盛り付けることができないし、半熟トロトロなんてもってのほか。もともと誰かに作ってあげるわけでもないし、身も蓋もない言い方をすれば自分の栄養補給のためのものであるから、形やらそういったものにそれほどこだわりはない。でも、やっぱり上手に作ってみたいという欲求はある。


と書き出してみたものの、特にこれと言って書きたいことがあるわけじゃなくて、ただ、月に2回くらいしか更新していないのを見ると、さすがになんとかしないとなぁと思うわけで、こうやってメモ帳につらつらと書いているんだけど、やっぱり何かコレ!という書いてみたいテーマみたいなものがないと、どうしようもないなぁということを再確認。

その書いてみたいテーマというのも、基本的には、思いついて即書き込めるTwitterのほうに書き綴ってしまうから、結局ブログのためにこうやってまとまった文章にすることはほとんどないというのがまたなんとも言えない。


「ブログを書く」という行為に、どうも身構えてしまうところがあって、Twitterでは自分の書いた文章はTLという川をどんどんと流れていき、すぐに人の目に見えなくなってしまうし、その人がなんとなく眺めているだけでいいのだけれど、ブログは、自分の書いたものがその場に残り続けるし、それなりに長い文章だから、読んでくれる人にいくらかの労力を割かせるものであって、「読んだ人に何かを感じて、楽しんでもらいたい」っていう想いがどうしてもでてきちゃうから、どうしても敷居が高くなる。

文章を書くこと自体は嫌いではないけれど、中身のある文章をかかなければならない、みたいな観念が自分の中に根付いていて、どうでもいいような文章を書くことに対して少し抵抗を感じていたのだけれど、こういうどうでもいい文章がインターネットには溢れているし、それにはその人自身の何かが確かに滲み出ていて、それを読むことに価値を感じている人もきっと広いネットの世界のどこかにはあるだろう、ということをなんとなく感じてきて、その観念はだんだんと自分の中から薄れてきている気がしている。


ここまで一段落ずっと、句点、句点、句点、句点、句点で続いていて、自分にはこういう文を書いてしまうクセがあるようだ、というのは自分でも自覚はしているんだけど、なかなか読点で区切る部分が見つからない。小論文講義でも、一文は長くても60〜80文字程度にしろと教わったのだけど、気がつくと、句点続きで120文字くらい文が続いていたりして、あぁまたやっちまったなと消しゴムで消して書き直すのだけれど、無理矢理読点を入れるようになって、なんか違和感があるものに。
確かに句点続きの文章は読みづらくて、このクセはなんとか矯正したいけれど、どうもうまくいかない。筆がノっているとどうしても句点続きの文章になるのはなんとかならないものだろうか。


この辺で今日は終わりにしておこうと保存をする段階で、こういうしっちゃかめっちゃかな文章にはどういうタイトルをつけるべきかという問題が……。
いつもはなんとなくテーマを持って書いているから、そのテーマに沿ったようなタイトルにすればいいんだけど、こういう場合は難しいなぁ。
ま、いつも通り適当に適当に。