戯れにmixiの限界文字数に挑戦してみた

たまにはmixiの方に日記を書こうと思って日記を書くページを開いたら、本文のところに「(10000文字以内)」と書いてあったので、どうせ暇だし、10000文字に挑戦してみようと思って書いた文章を、保存性を考えてこっちにもあっぷしておく。
ほんとうにくだらない駄文で、mixi(身内)向けのネタ=オタク要素を排除したものです。


一個前のは20分で書いた記事で、今度のは10000字書くのに2時間20分かかったわw


ちょっとどうでもいいことを思いついたので、しばらくパソコンに向かって文字を延々と打ち続ける作業をします。


このどうでもいいことってのは、1ヶ月以上mixiの方に日記を書いてなかったのでとりあえず日記を書くページを開いてどんなこと書こうかなぁと眺めていたら、本文のところに「(全角10000文字以内)」と書いてあったので、mixiの限界に挑戦してやるぜ!と暇潰し程度にやってやろうというものです。
10000文字っていうと、前学期の講義で出されたレポートがだいたい2000〜3000文字くらいのものを2,3本書いたから、ちょうどそれと同じくらいの量なわけで、レポートみたいにテーマが決まっていればある程度書きやすいのかもしれないけれど、テーマなしに適当に思ったことを書き散らした方が字数は稼げるんじゃないかと今のところは楽観的に思ってます。確か卒論が12000字とか聞いているんだけど、卒論と同程度の長さになるわけか。結構時間がかかりそうなので、現在時刻をここに書いておくと、現在9月27日日曜日の23時50分です。文字数のカウントはWordくんにお任せするとして、今だいたい500文字くらい。まだ500文字か。A4用紙1枚分がだいたい1000文字くらいだったはずだから10枚分。あぁ、こうやって実際にゴールを可視化すると途方もない作業のような気がしてきたぞ。やめときゃよかったかな。でももう書き始めちゃったんだし、行ける所まで突き進んでやる。


さて、この何の生産性もない試みについて触れるのはもうこの辺にしておいて、なにか話題を考えて、ちょっとでも楽しい気持ちになりながらでないと心が折れそうだ。話題、話題ねぇ、うーんうーん。


今、6月の頭くらいからだったかな、大学の生協が主催する公務員試験対策講座にお金を払って、せっせと講座に通って勉強してるんだけど、いやちゃんと勉強してねぇなぁ。手元の予定表をざっと眺める限りだと、半分くらい欠席している。おいおい、かなり高いお金払ってるんだしちゃんと講座に出ろよ、とお叱りの言葉がたまーに僕の頭の中に生まれるんですが、大学入ってから講義サボりまくりで、パワプロでいうサボり癖がついてしまった今の僕に、毎日何時間も大講義室の椅子に座ってつまらない講義を聴きながらノートを取ったりするなど不可能なことなのだ!なんてエクスクラメーションマークをつけて主張するようなことじゃないですよね。
いや、クソつまらない講義を90分聞いているだけなら全然平気なんですけど、大学までの移動が面倒くさい。自転車でだいたい15分くらいの距離なんだけども、みなさんご存知の通り、私、ぽっちゃり体型というか太っちょでして、あぁ、決してデブではないないんですよほらそこデブって言うな確かにデブですごめんなさい。えっとなんだっけ、デブとぽっちゃりの違いは置いといて、15分くらいの距離を自転車でえっせらほいせら進むだけでも、ましてや途中で坂道なんてあったら夏場、特に湿度の高い日なんかは汗がダラダラと流れて仕方ない。うちの大学の大講義室は、窓ひとつない密室空間のような、200人もの人間をこの部屋に押し込めばそりゃ蒸し蒸しして暑くて気持ち悪くなるわ!ってくらい最悪の環境でして、ぜーはーぜーはー汗かきながら大講義室に入って、マイ扇子(100均で買ったやつ)でぱたぱた扇いでもなかなか汗が引かない。ただ暑いだけでも集中力はガタ落ちしてやる気はでねぇってのに、その上汗がだらだら流れてたら、もう何もする気になれませんよ。なんて理由で自分を正当化して結構な頻度で夏休み中はお休みをしていたのですが、さすがに9月も後半になると気温も湿度も落ち着いてきて、それなりに快適な学習環境が整っちゃいますから、ここ最近は結構、僕にしては結構真面目に大学に通って、3コマ分270分間も大人しく席に座って講義を聞いているのです。
朝から3コマってことはお昼休憩を挟むんですが、いつもお昼を一緒に食べるお友だちは法学部のお方で、法律系の、憲法とか民法の講座のときは、「俺、法律系はバッチリだからお前らみたいに講座なんて受ける必要はないんだよ、へーんだ。(誇張表現)」とのたまわれ、大学に出てきません。そうなると、僕ちんひとりぼっちなの。いや、一緒にご飯食べるくらいの友だちならいるんですがね、その日は快晴、雲ひとつない綺麗な青空。こりゃあおにぎりと飲み物を買って、どっかその辺の芝生にでも寝転がりたいもんだな、と思って一人で大学構内をぶらぶらしながらよさげな場所を捜し歩きました。捜し歩くまでもなく、同じキャンパスに2年半も通ってたらどこで食べようかなんて決まってるんですけどね。
本筋からは外れるんですが、芝山のある大学に通いたかったと常々思います。実家の近くの運動公園にあるようなでっかい芝山でなくて、ちっちゃい芝山でもいいから、とにかく芝生が斜めになっているところ。天気のいい日に芝生の上に横になるのはとてつもなく気持ちいいもの。なんだけど、でろーんとした平らな芝の上に横になるのはなんとなく抵抗感を感じちゃうんですよね。だから例えば、金八先生のドラマなんかにでてくる川沿いの土手になってる通学路みたいなのにすごく憧れてます。昼間に学校を抜け出してあんなところでお昼寝なんてしたら最高に気持ちがいいんだろうなぁ。
ま、それはそれとして、大きな木の下で幹に寄りかかりながら優雅にお食事を済ませ、目を瞑ってみたり、ケータイで写真を撮ろうといいアングルを探してみたり、その辺をちょっと探索してみたり、お昼休みを満喫して、そろそろ時間だと講義室に戻りました。講義室の椅子に座ってもなんだか落ち着かない。
外はあんなにも素晴らしくいい天気なのに、窓一つない牢屋みたいなこの部屋でつまらない講義を受けている自分はなんてみじめなんだろう。人間はもっと自由なはずだ。ほら、自由の翼を広げれば、僕たちはどこにだって飛びたてる。さぁ行こう無限大の彼方へ!あの太陽の向こうへ!イカロスは蝋で固めた羽根で飛び立ち、太陽に焼かれて地面に墜ちたけれど、僕たちの背中に生えている翼は蝋で固めた偽りの翼なんかじゃない。夢や希望に満ち溢れた、天使の翼なんだ!
なんてイカれた思考が頭を駆け巡り、気がついたらカバンを片手に講義室を飛び出して、自転車に乗って河川敷に降り立っていました。
そのまま川べりまで降りようと思ったら、やはり考えることはみな一緒なのか先客がいらっしゃったので、すごすごと引き返してベンチの上にごろん。そのまますやすや夢の国へ、とはいかない。あっつい太陽の光が僕に、顔の半分だけ日焼けするんじゃないかという勢いで降り注いでくる。こんな環境で安眠なんかできるかバカヤロー!
それでも多少の時間は意識が飛んだみたいで、気がつくと目の前の小さな広場みたいなところで、中学生くらいの女の子3人がボール遊びに興じていました。すぐ近くに中高一貫だと思われる女子高があるのでたぶんそこの生徒だろうと思いつつ、こんな時間からこんなとこで寝てるなんて恥ずかしいなぁと思い、ベンチの上に座りなおして、知的な雰囲気を醸し出すために鞄の中から本を一冊取り出して読み始めました。女の子たちは、僕になんかおかまいなしに、ボールをバレーみたいにレシーブしたりしながら、蹴鞠のような遊びをしています。本を読みながら僕は、こっちにボール飛んできたらやだなぁと思っていたので、ボールの行方を気にしていました。ボール遊びをする三人組はとても微笑ましかったのですが、その姿を眺めているのは、昨今の事情を鑑みるに不審者扱いされそうでしたので、できるだけ本から顔を上げずにいました。ふと顔を上げると、こちらにボールがとんでくるではありませんか。僕は驚きました。まさか、本当にボールが飛んでくるとは!僕はそのボールを手に取り、三人組に投げ返してあげました。一人の冴えない大学生と三人の中学生との間にその瞬間、何かが生まれたような生まれなかったようなそんな気がしました。
はい、この話、お気づきの通りオチがありません。大学に入って、サークルやらなにやらに所属をしなかった私は、女の子と接することが極端に少なくなっていたので、女の子と、しかも年下の女の子と、たった一瞬でも接したことがなんとなく印象に残っていただけのことです。
寂しい大学生活だなんて後ろ指差さないでもらえますか。確かに寂しい大学生活ではありますが、こんな生活を僕はそれなりに気に入っているのです。もう2年半もこんな大学生活を送っていれば、そりゃ愛着もわくってもんです。
中学・高校のときは、村上春樹が結構好きで、村上春樹の著作はだいたい読んでいたので、大学生になったらこんな生活なのかなぁなんて漠然と思っていたわけですが、ご覧の有様だよ。長い文章だから誰も読まないだろうと思って本音に近い部分まで曝け出すけど、気がついたら隣に名前も知らない女の子が寝ているとか都市伝説。「やれやれ」なんて言う人生を悟ったような生活なんてどこにも存在しないです。少なくとも僕の世界には。あなたの世界には存在するのかもしれませんね。存在するのなら少しでいいから分けてもらいたいもんです。欲望の赴くままにキーボードを叩くなら(以下自主規制


ごめんなさい取り乱しました。21年間、自意識を肥大させた結果こんな人間になりましたよ。自意識だけじゃなくてお腹周りも肥大してますが。今上手いこと言ったよね俺。こんな自画自賛によってまた自意識は一回り成長します。お腹周りはこれ以上成長しないように間食を抑えて、できるだけ歩くようにしています。
「美味いもんを好きなだけ食べて死ねるなら本望だよ」なんて言っていた時代もありました。今でも少しはそう思ってますが、「親より先に死ぬのだけはやっちゃ駄目だな」って気持ちの方が大きくなりました。21になってようやく親孝行とか考えてますね。これが早いのか遅いのかはわかりませんが、自分の場合、親は結構好き勝手やらせてくれたんで感謝してますよもちろん。面と向かって言うのはさすがに照れるんで言えませんが。男の子なんで。


ふぅ、ここまで何文字書いたんろ。えっ、まだ4000文字ちょっとなの。この倍と少し書かないといけないわけね。ちょっと休憩しよう。いいかげん指が疲れてきた。


トイレに行ってココアを淹れてきました。さっきダイエットしなくては、なんて書いたのにココアかよと自分でも思ったのですが、自分の中から文章を捻り出して打ち込んでいく作業というのは、これで結構疲れるもんで、甘いものを補給しないとあと半分を乗り切れる気がしないのです。


上でつまらねぇオチのない話を書きましたけど、日記というか人間の日常なんてオチがあることの方が稀ですよね。その日常に起こった出来事を、頭の中で思い出しながら時系列をなぞるように書くだけじゃ、当然オチなんてつきませんよ。日常の出来事を面白おかしくかける人ってのは、構成やら言葉の使い方がうまいんだろうなぁと思います。
言葉の使い方といえば、最近森見登美彦の『夜は短し歩けよ乙女』を読んだんですけど、その感想を書いたブログに、「たくさんの言葉を知っているということが、面白きこともなき世を面白くする秘訣なんじゃないかなぁ」みたいなことが書いてあって、むむむと唸りました。この『夜は短し歩けよ乙女』の主人公である先輩の言い回しは非常に面白くて、この言い回しもこの小説の魅力なんですけど、こうやって日常のあらゆる事象を、事象って言うとちょっとお堅い感じがでちゃうけど、ありとあらゆることを、言葉の力でもって面白くすることは誰でも簡単にできることだよなぁと思いました。
「言葉のスケッチ」って言葉が最近のお気に入りなんですけど、情景を言葉で切り取ってみる、言葉のスケッチを重ねてみる、というのは、自分の語彙や表現を豊かにし、語彙や表現が豊かになればその分世界も広がるし豊かになると思います。
感情は言語の枠に規定される、なんてことを一時期考えたことがあるんですが、それはすべてではないにしろ、ある面では確かに正しいことで、言葉を知っている/知らないだけで世界の表情は大きく変わってくると僕は考えています。


ここまであれこれと5000字近く文章を書いてきたけど、自分の文章って定まってないよなぁ。人称も「私」だったり「僕」だったり「自分」だったりいろいろと変化するし、語尾も滅茶苦茶。一つの文章が句点・句点・句点で長々と続いたり、変なところで切れたり。
公務員講座では小論文の講座もあって、小論文を書く訓練なんかもするのだけど、気がつくと人称が変わってたり、5,6行に渡って読点がない文章になっていたりとボロボロです。まだ評価が返ってこないからなんとも言えないんだけど、小論文としては致命的な下手さが際立ってます。かなり頑張って意識しながら書けばなんとか体裁を保てるけど、すごい疲れる。頭が痛くなる。こんなんでよく受験期を乗り切れたなぁと自分で自分を褒めてあげたいですね。


さてさて本格的に何を書いていいのかわからなくなってきたぞ。mixiの日記にあげるってことで、公共の福祉(笑)を考えて書く内容をセーブせざるを得ないからなぁ。目の前を歩いていった男女の男の手が女の人の胸を揉み揉みしていて、その光景を目にしてしばらくフリーズしていたことくらいならまだしも、大通り沿いに建っている「インペリアル千姫」という風俗店(泡泡したお店)を駅前まで出た帰りに目にする度に、一生に一度くらいはそういうお店に入ってみたいなぁなんて思うなんてこと書いたらドン引きされること間違いなしですよね。いや、男なら誰だって思うはずですよね?ね?都会ならもっとすごいんでしょ。新宿の歌舞伎町とか吉原とか。あ、新宿二丁目はいいですごめんなさい僕はそっちの趣味はないですから。いや、そっちの趣味を否定するわけではないですよもちろん。その辺は許容できますが強要しないでください。あー、結構ひどいこと書いてるなぁ。もうだいぶ脳みそが疲れてきてるんだなぁあはははは。


えっちな話ってどこまで許容されるんですかね。気心の知れた男同士なら結構大丈夫なもんなんですが、それでもやっぱりこのラインは越えちゃいけないなーってラインは厳然と存在しています。というか、エロ話なんて普通しないですよね。僕もしません。この前、東京の方からお友だちが仙台に遊びに来ていたときに、「働きたくねーよねぁ」「そーだねぇ」「ヒモになって生きていきたいわ」「ヒモはやだわ」「なんで?」「だって俺Mじゃねーもん」「えっ、ヒモってMなの」「Mだろ……」「まぁ、どうせ俺はMだしね」みたいな会話をしました。ヒモってMなんすかね?別にMじゃなくてもヒモにはなれると思うんですが。ってか、「ヒモになりてぇ」とか口に出しちゃ駄目ですよ。これ言ったの僕なんですけど。大学で2年間もモラトリアムを謳歌しちゃうともう「働きたくねぇ」が口癖になるのは仕方ないことだと思います。まだ口癖レベルなんで許容してください。本当に働かなくなったらそれはただのニートなんで罵倒してやってください。自他共に認めるMなんで罵倒されると喜びます。いえ、そんなことはありません。……何言ってんだろ自分。これからも仲良くしましょうね!よろしくお願いします!(切実)


こんな単発のネタじゃなくてある程度文字数を稼げるようなネタをどこかから引っ張り出してこないと、この時間が延々と続いて終わらない気がする。


8月に書いた、一人で花火大会に行ったときのことでも書くか。
あれは、マイミクの一人が友だちと花火見てきたなんて日記に書くもんだからその当てつけみたいな意味と自虐的な意味を少し込めて書いたんで、あとで消そうと思ってたんですけど、まぁどうでもいいやと思ってそのまま放置してあります。きっと寂しい奴だと思われてるんだろうなぁと思いましたが、その認識は大筋では間違ってないんで訂正するのも面倒くさいしどうでもいいです。
件の花火大会ですが、仙台は東北三大祭の一つ、七夕まつりが8月の6〜8日に開催されます。その前夜、つまり5日の夜に前夜祭として16000発だったかな、の大きな花火大会があるんです。それにいそいそと一人で出かけていって、公園の芝生の上に一人で座って、「おーっ!」なんて感嘆をあげたり拍手をしたりしながら、木の陰になって見づらい花火を1時間近く見ていました。普段なら一人じゃあんまりそういうところ行かないんですけど、そういうイベントに気軽に誘える友だちはもう仙台を離れて地元に帰っていて、誘う相手もいない。ここで女の子とか誘えるプレイボーイなら人生ウハウハなんですけどね。こればっかりはどうしようもない。ちょうどその日の深夜に東京から友だちが来るってのもあって、ま、花火見てそのまま駅まで出て、マックで時間でも潰してりゃいいかなぁくらいの気持ちで行きましたよ。そんな程度の話です。
一人旅とか一人で行動することが性格的にできない人って絶対いると思うんですけど、幸いなことに自分は一人で行動するのもそんなに苦じゃないですし、一人でとみんなでの楽しさは別物ですよ。大学入りたてのころは、講義の合間合間にひとりで大学周辺を探索したりしてたんですが、一人で歩くことの気軽さってあるじゃないですか。なんか怪しげな小道を見つけて、その道を進んでみるとか、気兼ねなく脇道にそれてみたり、好きなときに好きなだけ休憩したり、ベンチに座ってじっと桜を眺めてたり……。そういうの、好きなんですよね。街の探検、なんて銘打てばなんかかっこいいじゃないですか。
何度も言いますけど、一人と複数の楽しみはまったく別物ですよ。複数人でいろいろするのもすごい楽しいです。けど、一人で気楽に過ごすのもすごい楽しいです。ま、この辺は自己弁護みたいな面もあるんですけどね。「うわぁ、こいつ一人で花火見に来てるよ……」なんてこそこそ話されたら精神的ダメージは大きいですもん。そんなの気にしないくらいの強いパワーを持てればいいんですけど。


お、そうだ。絵文字ことを書こう。
自分、ケータイでメールするとき絵文字なんて全然使いません。たまに使うときはあっても、ネタ的にハートマークを使ってみたり、誕生日メールにロウソクが3本立ってる絵文字を使ってみたり、その程度です。
この前ゼミの同期の集まりがあって、それを仕切った人から「○時に△集合でいいかな?」なんてメールが入って、いつものように「りょーかい」と絵文字も何も使わないシンプルな文面で返信したんだけど、当日、その人に「かずは絵文字全然使ってこないから怒ってるんじゃないかって思っちゃう」なんてことを言われて衝撃を受けました。まさにカルチャーショックですよ。え、絵文字使ってないだけでそんな風に思われるんっすか。ケータイを持って3年目になるのかな、3年間ずっと絵文字とか使わないでメールしてきたんですけど……。これ、ケータイ文化とパソコン文化の違いなのかなぁと漠然と思いました。ケータイの絵文字ってどう使えばいいのかわかんないんですよね。うまく使えないというか。どの場面でどの絵文字が適切なのかさっぱりわからないし、絵文字を打つための労力が無駄にさえ感じます。いや、それは言いすぎか。別に絵文字自体を否定することはないし、顔文字くらいなら僕も使うけど、絵文字使わないだけで不機嫌なんじゃないかと思われる文化が存在していることが衝撃で衝撃で。これには開いた口が塞がりませんでした。だからといって、絵文字使うようになるわけじゃないですけどね。絵文字を使いこなすのは大変そうで。”中高年のためのケータイ絵文字講座”とかあってもおかしくないレベルの技能だと思いますよ。そんな講座あったら受けてみたい。中高年じゃないけど。ハゲるし。


私、ハゲの遺伝子を受け継いでいます。祖父、父と白髪じゃなくてハゲの遺伝子持ちで、かつ僕の頭の形は父親に酷似しています。それどころかもうハゲはじめてます。ハゲです。ハゲを馬鹿にすんな!アデランスとかヘアコンタクトとか、そんなお金かけなくてもいいんじゃないでしょうか。ハゲだって生きてるんだ、人間なんだ!!本格的にハゲたら頭丸めようかなんて思ってます。今はまだ髪の毛の量が減って頭皮が頭を覗かせている程度です。それってどの程度のハゲレベルなのか自分ではよくわかりません。生え際後退してるのかなぁ。
お風呂で髪の毛洗うときとか、自分の抜け毛の量にびびったりしませんか?朝起きて枕元を見ると、大量の髪の毛が散乱していて驚いたりしませんか?人間の髪の毛は一日に何十本と抜けるんで、それは普通なんですよ。普通なんですって!僕は普通より多く抜けてるかもしれませんが。3組の教室で受験勉強をしていたとき、ケータイでハゲについて調べたのもいい思い出です。
何度も言わせて貰います。ハゲを馬鹿にしないでください。ハゲを馬鹿にしないでください。ハゲを馬鹿にしないでください。包茎を馬鹿にしないでください。ハゲを馬鹿にしないでください。
あ、なんかひとつ変なのが混じった。


ChatPadというウェブサービスがあります。匿名でできる1:1チャットです。決して怪しいものではありません。1:1チャットといえばエロチャットなんて偏見は取り除いてください。このサービスが始まった当初は何千人もの人がいたんですが、今じゃだいぶ使ってる人が少ないみたいです。僕も始まった頃に少し使ってみたんですが、そこで自称バツイチの20代OLさんに会いました。匿名チャットなんであくまで自称です。童貞や包茎を男の人は気にしすぎだとその人は言っていました。実際のところどうなんでしょうね。日本人の8割だか9割は仮性包茎なんで、包茎は気にすることじゃないです。それは僕もそう思います。包茎は馬鹿にしちゃいけません。テレビに出てるあの人だってたぶん包茎です。包茎包茎うるさいですね。でも、童貞はどうなんでしょ。30歳だか35歳だかまで童貞を守れば魔法使いになれるらしいですが。……って、こんな話するとひかれそうです。どの程度までだったら許されるのかわかりません。ラインをどこに引くかというのは、こういう話題だけじゃなくて、人間関係における大きな悩みのひとつだと思います。


これを読める人はたぶんわかってると思いますが、僕は深いところをまったくと言っていいほど曝け出そうとしない人間です。信頼しているしてないという問題じゃなくて、知っている人に自分を曝け出すのが怖い、ただの臆病者です。中島敦の『山月記』に、「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」という一文がありますが、まさにそれです。きっと僕もいづれ虎になり、野を駆け山を駆け、いつか自分を失って野性に還ることでしょう。


と、ちょっとしんみりしてみたりもしましたが、あと1000文字程度で10000字達成ですよ。長かった。まだ長いんだけど。よくもまぁ飽きもせずここまで書き続けたもんです。いや、途中で何度も投げ出そうかと思ったけどね。
普段は表に出さないような部分まで書いてる気がします。もっとポエミーだったりするんだけどね。えへへ。
そういや、中学のときにやってたホームページが、インターネットの海の中にいくらか残っていたので、当時の自分が書いていた文章をじっくり読んでいたんですけど、ポエミーでした(笑)結構、かなり恥ずかしいです。自分で読んで、酒の肴にする分には平気なんですが、これを今他人に読ませるとなるとかなり抵抗があります。よくこんなものを同級生向けに書いていたなぁと自分を尊敬したくなりますね。無駄に歳を取っていろいろな知識を得ちゃうと、今までできていたことができなくなります。
あと、文章が今よりもまとまってます。確実にあの頃よりも退化してるよなぁ……。中学生よりも文章力がない大学生ってどうなんでしょ。
ともかく、今しかできないことってのは絶対あるし、今しか書けない文章というのも絶対ある。こうやって、こんなどうでもいいような文章でも、自分の断片として残って、いつか読み返してきっと、「馬鹿なこと書いてるなぁ」とか思うんだろうな。
そうやって考えると、おおよそ2時間半かけて書いたこの文章も無駄ではなかったのかな、と思います。


これでほぼ10000字。一万越えちゃうとmixiにアップできないからこの辺でおしまい。
もしこんな駄文をここまで読んでくれた人がいたら感謝です。(9965文字)