幸せとか雨とか学生の行動とか

メモ帳を立ち上げて、さて今日はどんなことがあったかな。


何にもない一日なんてあるわけないのに、何かあったと感じる閾値が低いと、今こうやって今日を振り返ってみて、なんにもなかったなーと思う。
この閾値は大きいほうと小さいほうとどっちがいいのかなぁとちょっと考えてみる。

毎日小さな幸せをちょっとずつ集めていくのと、たまに大きな幸せがどかっと入ってくるのと、どっちの方が幸せなんだろうなぁ、なんて不毛な考え。
哲学って不毛だなっていつも思う。こういうことを考えるのは楽しいけれど、哲学しないと生きていけないほど頭は飢えていないからなのかな。

で、ブルーハーツの情熱の薔薇を思い出した。
「なるべく小さな幸せと なるべく小さな不幸せ なるべくいっぱい集めよう こそんな気持ち分かるでしょう」っての。
なんでなるべく小さな不幸せまで集めるんだろ、って前々から不思議に思っていた。
幸せを感じるために不幸せが必要なんだとしたら、なんか嫌だな。


大学からの帰り道は雨だった。
つまんないガイダンスを最後まで受けていたら、途中から雨の音が聞こえてきて、ちょっぴり楽しくなったけど、帰りのことを思うと気分が落ち込んだ。
傘を差して自転車に乗ってごめんなさい。
家を出るときから雨が降っていたら、自転車に乗らないで行くんだけれど、出先で雨が降ってきたら仕方ないよね、と自分を誤魔化して乗っているのだけれど、本当はいけないことなんだよね。
友だちが、自転車に乗っているときには音楽聴いてないとつまらない、って言ってて、それは危ないから止めたほうがいいよ、って言ったんだけど、あんまり危なくないとか。
散歩をするときとか、最近では駅前までアーケードを歩いて行くときとか、もちろん大学まで自転車で行くときもだけど、外にいるときは携帯音楽プレイヤーなんてなくても楽しいと思っているから、そのことについて下手な説明をしたんだけど、やっぱり音楽の方が楽しいって言われちゃった。ちょっと残念。
雨の日にはほぼ100%くらい、男女の相合傘に遭遇して、うわぁって気分が落ち込んだりするんだけど、今日は女の子が相合傘をしているのにしか遭遇しなくて気持ちよかった。
雨に濡れるのはそんなに好きじゃないんだけど、たまにぐっちょりと雨に濡れたいなって思うときがあって、思うだけで行動には移さないんだけど。なぜなら雨に濡れるとハゲがばれるから。雨に濡れなくても髪の毛薄いのでわかっちゃうけど、雨に濡れるともっとひどくなるから。


あ、講義中にすごい不思議に思ったことがって、大教室の後ろに扉があるんだけど、講義中にも関わらず出たり入ったりする分にはなんの問題もないし、それは別にどうでもいいんだけど、扉を閉めるときに、なんでみんな音を立てないようにそっと閉めようとしないんだろうなーってこと。
バタンって大きな音を立ててドアが閉まるたびにビクッと体が震えるので止めて欲しいです。そんなんだから、講義中にも関わらず怒り出す教授が出てくるんだよ。人が怒っているときって、小心者だからか、居心地が悪いんだよね。居心地が悪いだけじゃなくて、なんか泣きたくなる。
あと、講義が終わりそうになったらみんな一斉に教科書とか筆記用具をしまったりする音で教室が騒然となるのもなんだかなーって感じ。まだ前にいる人がしゃべってるよ?
どこの大学言ったってこの辺は同じなのかなぁ……。なんか、もうちょっと、ほんのちょっとでいいから他の人のことをみんなが考えるようになれば世界は平和になるのに、とかなんとか言っちゃって、今日は締める。ちゃんちゃん。