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まぁ一辺死んでみても、それはそれでアリなんじゃないかな

せっかく連続更新が続いてるんだし、今日も何かを書かなければと、更新することが目的となっていてなにかがおかしい気もする今日この頃。
なんだか中学生のときに書いていたものと今書いているようなものが、そんなに大差ないんじゃないかと思って、適当に一個開いて読んでみたんだけど、ちょうどなんか恋愛について自己陶酔しながら語っててこれはやばい。
これをあの頃は同級生に対して読ませていたのかと思うと、ひどく不思議な気持ちになるばかりか、当時同級生から「あれを読んでいると、お前がなんかすげぇかっこいいやつに思えるよ」なんて言われた記憶があって、うわぁぁぁぁ(赤面)。


死ぬことそのものに怖さは感じないかなーって思います。いきなり話が変わったけど、まぁ気にしないでください。死ぬことよりも死に近づく過程で苦しむことが怖い。痛いのやだもん。我慢するのやだもん。延命治療とかで体中にチューブ張り巡らして、痛いの我慢しながらそれでもギリギリまで行き続けるとかやだもん。誰かは、それでも生きていて欲しいって思ってくれる誰かがいるかもしれないけど、そんなこと考えてられないもん。ジコチューだと言われようともそう思う。
死ぬのが怖くないって言っても、例えばあと3日で君は死にます、って言われたらどうすっかなーって考えてみても、一度くらいセックスしてぇなぁって思うくらいじゃねーかなーと。いや、もちろんその状況に置かれたら全然変わるかもしれないし、そりゃ死ぬことなんて人生に一度しか経験できないんだから、今あーだこーだ言ったって無意味なのかもしれないけれど。
なんていうか、まぁ人生ってこんなもんだよね、って思ってる。将来はー、彼女と付き合ってー、セックスしてー、結婚してー、子ども育ててー、老後を二人仲良く幸せに過ごしたいなーとかそういう思いはあるし、これは将来の希望とか夢って言っていいのかもしれないけれど、それがあるからといって死にたくねぇとは思わないかな。だからと言って積極的に死のうなんて思ったりするわけでもなくて。
中学のときにいわゆる親友と呼べる関係にあった(であろう)人が、下校中に「死にてぇ」って連呼していたときがあって、「死んだらそこで終わりだよ!俺が悲しむよ!」なんて青春ドラマにありがちなことをその人に言っていたような覚えがあるけど、本音では「何言ってんだこいつ」としかそのときは思ってなかった気がする。
どうでもいいんだけど、ほんとに死にたいと思ってる人に「俺が悲しむよ!」なんて言っても無駄な気がした。だから何って感じ。
まぁいいや。
とにかくこんな感じ。どんな感じかは自分でもよくわからないけど、わからなくて当然なんじゃないかって思う。さっき友だちにメールした内容には、「死とかそんなことについて考えるのは暇を持て余した哲学者だけで十分だよ(笑)」なんて書いたけど、その通りだよなーって自分でも思った。
未来ある若者は普通、大人の悟ったような物言いに反発するべきだし、大人はその反発に対していろいろとまた諭すようなことを言うんだろうけど、諦めというかどうしようもないって思いが強いんじゃないかなぁ。あと、わかんないって思い。
わかんないしどうしようもないしなるようになるし、世界はきっとそういう風にできてるよ。死ぬときゃ死ぬし、そういうもんと受け入れちゃう、みたいな。よくわかんないけど。


こんなようなことを今朝考えながら自転車を漕いで大学に向かっていたら、駐輪場に自転車を停めた途端に猛烈な便意に襲われて、トイレまでダッシュして、ズボンとパンツを同時に下げて、腰を下ろして、ふんばって、腸に溜まった老廃物が肛門から外気に触れ、洋式便所の水の中にぽちゃんと落ちたときに、ものすごい快楽が襲ってきてどうでもよくなっていたのを、今思い出したので、思い出しながら断片をメモした。