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根っこの部分はずっと成長してないわ

あっはっはっはっは……。

中学のときに友だちの恋愛相談っぽいようなものをメッセで受けたときのログが残っていたので、懐かしさのあまりじっくり読んでたら泣きたくなった。
自分の発言が全体的に押し付けがましいし、いろいろしつこいし、なにやってんのこいつ死ねよ死んどけよもう俺は泣きたいよって感じなんだけど、15歳だかの頃から


「俺、全体的にみんな苦手w」
「どんな人でも、ちっとは苦手w」
「自分以外が信じられないw(爆)」
「一人がダイスキっ子w」


とかその友だちに話してて、ちょっと昔の自分とお酒でも飲みながら語り合いたくなった。
中学三年生といえばもうオタクやってた頃だし、深夜遅くまで起きてて親にバレないように小さな音量で、かつ物音にちょう耳を澄ませてびくびくしながらアニメ見たり、友だちにラノベとかマンガとか借りて授業中に読んでるのがバレて先生に取り上げられたそれを、研究室に頭下げに行って返してもらったり、少なくともオタクであることが一般的な観点からして「恥ずかしい」とか「普通じゃない」とか「嫌悪される対象である」ということをしっかりと理解していたし、中学三年といえば受験とか思春期とか恋愛とかそういった煩雑な環境に取り囲まれて、精神的にも肉体的にも難しい時期であるからこそ、仮面を被って生きていて、親友と思っていた人との絶交や、親友が自分と同じ人を好きで僕はそのことを知っているけど相手はそのことを知らないとかいろんな経験もあり、それ以前からではあったのだけれど、自分を隠すといいますか、本音をあまり漏らさない人間であったのは確かで、相手に合わせてニコニコしている「いい人」を演じていた、とまでは言わないけれども、確かにそういう一面はありました。
そんな中でも、インターネットが面白くて、当時はチャットとかだったんですけど、その延長線上でホームページを自分でタグ打って作って、自己満足なんて銘打って同級生相手に今みたいな、今よりももっと隠していたし、いろいろなことを知らない分理想的であったけれど、そんな文章を垂れ流していて、たとえ相手の顔を知っていても、顔の見えない、文字だけのコミュニケーションならば、それでも自分の引いたラインは越えないけれど、相手と同じくらいの部分までは自分の内面を出したりしていました。これは今でも変わらないんだけど。

で、15歳の自分が、もう6年も前からずっと「どんな人でも、ちっとは苦手w」なんてことを思っていたのかと、今とあまり変わらないことを思っていたのかと、不思議な気持ちになったのです。たぶん、こういうことを感じていた当時の自分だって、口ではそんなことを言いながらも、よくある主人公と悪友の関係のようなものを望んでいただろうし、そういう関係がきっと自分には手に入らないんだろうな、なんてニヒルに斜に構えて心を痛めたりしていたなぁと、あまり覚えてないんだけど、確かにそうだったです。


サビシイ。ウサギハサビシイトシンジャウンダヨ。
ニンゲンダッテサビシイトキットシンジャウヨ。


寂しさと折り合いをつけて、なんとかこうやって、死ぬまで、いつ死ぬかはわからないけれど、勝手に自分の意思とは無関係に死ぬまで生きていくんだろうなと、この感情とも折り合いをつけて。