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俺たちは社会の歯車じゃねぇ!のかもしれない

大学の図書館でユリイカの臨時増刊号を読んで以来ずっと、見に行ってみたいなーと思っていた『空気人形』という映画を、たまたま『THIS IS IT』の前売り券を友だちから貰ったので、ついでに見てこようと思い見てきました。

この『空気人形』って映画は、公式サイトでも見てもらえばわかるんですが、性欲処理用の空気人形、いわゆるダッチワイフが、ある日突然、持ってはいけないはずの心を持ってしまい、出かけた先でたまたま会ったレンタルビデオショップの店員に恋をして……っていう感じの、一応はラブストーリーに属するらしい映画です。


吉野弘の『生命は』という詩が、大事な位置を占めているんですが、

生命は 自分自身で完結できないように つくられているらしい
(中略)
生命はすべて そのなかに欠如を抱き それを他者から満たしてもらうのだ
(中略)
私も あるとき 誰かのための虻だったろう
あなたも あるとき 私のための風だったかもしれない

他人のからっぽの心を満たす空気人形。けれどそれは所詮ただの代用品に過ぎなくて、「おまえの代わりなんていくらでもいるんだからな」と、レストランでアルバイトしている主人公が社員に説教されるように、いくらでも代わりがきく。
空気人形ももちろんそうだけど、そうやって説教された主人公も、公園で出会うおじいさんも、空気人形が恋をしたレンタルショップの店員も、その上司も、だれもかれもが中身はからっぽで、きっと、自分の代わりなんていくらでもいるんだ、という思いを抱いているんだと思う。

誰もが互いに欠如を満たしあっているということを知りもせず、知らせれもせず、そういう風にして世界は構成されているのだけれど、「お前の代わりなんていくらでもいる」じゃなくて「お前の代わりなんてない」という、誰かの特別になりたいけれど、果たして特別になれるんだろうか。僕も、あなたの虻になることができましたか?
みたいなことを思った。


でも、何かの代わり、でいいんですよきっと。