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僕は少女に確かな肉体を与えなかった

いつも書き出しに困ってなんとなく近況報告みたいなものから入ることが多いのですが、Togetterの百合議論のまとめを読んだときに思ったこと、そこから派生して今お風呂で湯船に浸かっているときにボーッと考えてみたことを書き起こしてみよう、というのが今回の趣旨です。オタクとしてのフィクションのキャラクター消費の仕方、みたいなテーマのつもりで書くつもりです。毎度のごとく、なにか結論があるわけでもなく、すごい自分語りです。


その百合議論のまとめを読んでいて、みんな面倒くせぇなぁと思いました。面倒くせぇってことはつまり、語っている内容のことがめちゃくちゃ好きであるってことだと思うんですが、語っている内容については難しくて僕にはよくわかりませんでした。
「百合」っていうジャンル、女の子と女の子がキャッキャウフフするお話を僕は好きなんですが、こうやって議論するわけでもなく、悪く言えばただ単に消費しているだけです。そういう人はたくさんいると思うし、僕はそういう人のほうが一般的だと思っているのだけど、オタクってそうじゃないよね、とも思うわけです。僕の中でオタクっていうのは、自分の好きなことにどこまでもどこまでも熱中していて、そのことについてならいくらでも語れるし、どんなに時間があっても語りつくせないくらいのものを持っていて、好きなものを悪く言われたら怒るし、同じものを好きな人といくらでも議論をできるだけの強い核を持っている人だと思うのです。
そういう人たちからしてみると、僕みたいにただ消費していくだけで何も生み出さない、害虫みたいな存在は忌み嫌うべきものなんじゃないかと思っています。だから僕は、幸いなのか不幸なのかはわからないけれど、身近に熱い人たちがいて熱く語っているのを目の当たりにしているので、気軽に「百合最高だぜフォー!」とか声に出して言うのが怖いと感じてしまいます。


昔から、ひとつのことに熱中することのあまりない人間で、自分の好きなものに誇りを持ってそれをいくらでも語れる人に憧れを抱いていました。いわゆる美少女アニメを見始めた頃、D.C.〜ダカーポ〜というアニメを見ていたのですが、その中で僕は白河ことりというキャラクターが好きでした。僕がこっちの世界に足を踏み入れたきっかけが、堀江由衣さんで、その彼女が声を当てているキャラクターということももちろんあったのですが、学園のアイドルが自分の容姿だけじゃなくて本当の自分を好いてくれる人を好きになるという、今考えればありがちな話の上に、他人の心が読めてしまうという、男の身勝手な欲望に晒されまくって、それでも笑顔を絶やさないで生きてきた彼女のことがすごく好きだったと思います。けれど、白河ことりと付き合いたい、彼女の白い帽子がちょっとずれているのを直してあげたい、綺麗な長い髪を優しく梳いてあげたい、とかそういう欲望はほとんどありませんでした。まほろまてぃっくのまほろさん、おねがいティーチャーの森野苺とか、好きなキャラクターはたくさんいましたが、他のキャラクターでも同じことだったと思います。翻って、三次元、つまり中学生だった僕の同級生の女の子に対しては、そういう欲望がありました。でも、好きなグラビアアイドルや女優さんにはそういう欲望がなかったと思います。


ということは、僕は二次元・三次元という区別よりも、手の届く・手の届かないという区別が頭の中にあって、手の届く人に対しては肉体づけを行うのに対して、手の届かない人に対しては肉体づけを行わない、つまりなんというか、実体感を持たせる必要性がなかったとでも言うべきなのか、そのへんはよくわからないのですが、妄想の対象にはならなかったということなんだと思います。
オナニーのことを考えます。現在でも昔でも、僕は可愛い女の子が性器を露出していたりする絵でオナニーをします。でもそのとき、つまり自分のちんちんを右手でしごいているときの頭の中ではたぶん、その絵そのものしかないです。その絵から女の子が出てきて、その右手でいじっている濡れた性器から溢れる蜜の匂いや、いやらしく響くクチュクチュという水音や、口元にあてがった左手から滴り落ちる唾液を想像しているわけではなく、ただその絵そのものがあって、声は想像することもありますが、ただそれだけです。じゃあグラビアのときはどうなのかと言えば、水着に隠されたぷっくりとした桜色の乳首や、綺麗に整えられた陰毛や、その先にある花びらを想像はしますが、匂いや触感や味覚といった視覚以外の感覚を想像することはほとんどなかったはずです。
でも、手の届く同級生のあのこ、となると話は変わってきます。なんか書いてて恥ずかしくなってきた……自分の性的欲望に向きあうだけならまだしも、それを公開しようとしているのがすごく恥ずかしい……。スカートからちょこっと見えたショーツ、ブラウス越しに透けて見えるブラジャーの紐、ふたつのちいさな膨らみ、胸元から見えたブラジャー、などいう、視覚的なものですることももちろんありますが、それ以外にも、初めてのデートで、待ち合わせ場所にやって来た彼女から仄かに漂ってくる甘い香りや、映画館で映画を見ているときに右手と左手がふと触れてしまったときの温かさと気恥しさ、ウインドウショッピングしているときに繋いだ手の大きさ、初めてのキスの味、恥ずかしそうにはにかむ彼女の顔、高鳴る鼓動、荒くなる吐息、彼女の部屋に入ったときに感じた優しい香り、ベッドの上に残る彼女の形、荒いキス、ブラジャー越しに触る柔らかな膨らみ……もうこの辺にしておきますが、そういう妄想からすることもありました。今すごくどきどきしてます。
こういう妄想を、手の届かない人ではしなかった。できなかったのではなくて、しなかった、する必要がなかった。今ではしますけど。


僕はこんな感じで、キャラクターを消費するのではなくて、物語を消費していました。だからなんだという話なんですが、手の届かない人にさまざまな感覚の欲望の対象となるような肉体づけをしていなかった、ということが僕にとっては新しい発見だったので、文章に残しておこうと思っただけです。
ザーッとここまでの文章を眺めてみて、前半と後半の繋がりがまったくないということに気づいてしまったのですが、お風呂の中で、僕の頭の中ではこういう風に思考が進んでいたので、そのままにしておきます。ちゃんちゃん。