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過去を振り返るな!未来だけを見て進め!

なんとなく「日記」というものについて考えます。


今まで、日記と言うものをつけた記憶があまりありません。小学校高学年の時の担任の先生が、「心のノート」というタイトルで、毎日学校であったことを書けという方針を持っていて、15マスの学習帳に最低2ページ程度の日記を書くことをやっていました。その日記は書けたら提出して、先生がコメントを付けていたと思います。小4から小6までの三年間のその日記は、ちょっとカッコイイ表紙をつけて製本して、今でも実家の本棚の中にあります。今度帰省したときは読み返してみようと今思いました。中学に入って、中学の時間割帳にも、毎日日記のようなものを書くスペースが半分くらいあって、それを毎日担任に提出してコメントがついて帰ってくるというのがありました。始めの頃は、小学校でそういう教育をされていたので、それなりに真面目に書いていましたが、遊び盛りの中学生、だんだんと真面目に書かなくなって、適当に一行で終わらせたり、絵を書いてみたりと、かなりフリーダムだった気がします。でも、担任が(それからたぶん親も)見るものだったので、表面だけを薄っぺらく書いたものでした。これも全部取ってあるはずなので、実家に帰ったら振り返ってみたいと思います。


「日記は必ず思い出になるものだから捨てないで取っておきなさい」と母親が言っていたのを思い出しました。学習机の引き出しの中には、小1のときのあのね帳(「せんせいあのね」で始まる絵日記帳)からずーっと日記だけは保管されています。


高校に入学して、日記を書くことは、もともと自発的に始めた習慣ではなくて、強制されていたことだったので、すぐになくなりました。その頃は何度かブログに挑戦したこともありましたが、三日と続いたことはありませんでした。


そうして、日記に縁のないまま大学に進学しました。大学に入って、一人暮らしを始めました。一人暮らし初日、テレビもなければパソコンもない。今日の夕方まではいた親もいない。これからずっと一人で暮らして行くんだ、そう思うと無性に寂しくなりました。音のない部屋で、涙ぐみながら、親からかかってきた電話で親の声を聞いてすごくホッとして、涙声になりながら「だいじょうぶだって」と強がってみせたりもしました。すごく寂しい。やることもない。そうだ日記をつけよう。そう思って、勉強用にと買ってあった新品のノートを一冊取り出しました。そのノートは今、手元にあります。これがたぶん、生まれて初めて、人に見せるためじゃない、表面だけをさらっと撫でただけの記述じゃない、本音の日記だと思います。今から、2年ぶりくらいに読み返してみようと思います。



あはは。文豪の日記っぽさを意識しているような硬い文体で、3年弱前のものとはいってもやっぱり恥ずかしい。だーっと読んでみると、6月の頭までほぼ毎日書いていたみたいで、自分すげぇなぁと思った。あと、これこそ日記だよ、と。この文章も日記のつもりで書き始めたのにぜんぜん日記っぽくない。大学に入ったばかりで気持ちが揺れていた時期のことが思い出されて、昔の自分が愛しくなりました。きっと日記ってこういうものなんだよね。当たり前だけど。