けいおん!!20話

なんというか、よくデキすぎてる印象が強かったかなぁという感じです。起きたら手に「人」の文字いっぱいも部室でのえいえいおー!も、文化祭でこれからライブなんだなーって印象がすごく伝わってくるし、部室から行動に向かうシーンのカメラワークにドキッとしたり、すごく素敵なんだけど、肝心のライブ自体がデキすぎてる。最初に転んでるところとかぐだぐだのMCなんていかにも唯らしいし、文化祭でのライブなんてそんな風にぐだぐだなものだと思うんだけど、みんなが同じTシャツ着てるとかスポットライトがバンバンあたったりするのとか、演出過剰な気がした。

つーか放課後ティータイムって全学的にこんなにも人気者だったんだなー。学園祭でオリジナルの曲でこんなに盛り上がるんだもんなー。努力の過程を見せない、練習シーンを全然描かないってのは、けいおんってそういうものなんだって割り切れてるし、それは構わないんだけど、これはやっぱデキすぎだよなぁ。みんなと毎日を過ごしてる、ってのにスポットが当たってるわけだし。ライブも毎日のひとつにすぎないというか、山とか谷を作る上の手段の一つみたいな感じだと思ってるんだけど。15分〜30分くらいステージの時間割り振られてるしてもなぁ。この大歓声は武道館ライブやってるみたいじゃん。雨で体育館にみんな集まってきたっていうハルヒならまああれだけど。でも、観客がちゃんと行動の椅子に座っててお嬢様学校っぽい(勝手なイメージだけど)。あとバンドっぽさ的にはメンバー紹介の時は自分の楽器弾くのかなーって思ってたけどみんな一言ずつ喋ってて余計ぐだぐだ感。


まあライブ中はなんとなーく違和感がふわふわとつきまとってたんだけど、ライブのあとの部室ってのがもう……ライブやってる最中のことなんかぜんぜん覚えてないってのが、もうまさにって感じで。実際にこういう風な経験があるわけではないんだけれど、ライブとかそういう集大成的なものをやってる最中の記憶ってあんまり残らないもんで、バンド名をどうしようか話し合ってたり、練習の休憩中に馬鹿みたいなくだらない話で盛り上がったり、そういう部分が思い出として記憶に残っていくんだろうなぁってのはなんとなくわかるし、「リンダ・リンダ・リンダ」でもそう言ってた。忘れないところって結局こういうところなんだよね。ライブ終わって、大成功で、「このあと何する〜」ってセリフが出てくるところでもういろいろやばい。終わりがちゃんと目の前にあって、見えてるのに見えてないフリしてる感じがひしひしと。燃え尽きてとりあえず先のことなんて本当に頭の中から飛んじゃっててわーって盛り上がったっていいのに、どうしても数ヵ月後にあるおわりがみんなの頭の中から離れていかないのが切ない。

こうやってくると、このシーンでも窓の外は夕方だし、「放課後ティータイムは永遠に放課後です!」がめっちゃ切ないけどいい言葉に思えてくるな。永遠の放課後って憧れじゃん。ティータイムじゃなくたって、放課後に教室で先生に追い出されるまで友だちとずっと喋ってたり、ゲームセンターに寄り道したり、公園でブランコ漕いでたり、放課後ってすごい時間なんだよ。小中高のどれかの学校に通ってる間にしかない時間でさ、夕方でさ、太陽が沈もうとしててさ、夕陽がすべてをオレンジ色に染めててさ、学校が終わってから家に帰るまでのいろんなものから解放された時間でさ、一日が終わろうとしててさ、放課後ってすごいんだよ。そんな放課後がさ、なくなっちゃうんだけど、なくならないんだよ。すごいじゃん。素敵じゃん。最高じゃん。寂しいじゃん。悲しいじゃん。放課後ティータイムは永遠に放課後です!帰宅部だった俺にだって放課後にたくさんの思い出あるんだから、部活とかやってたらもっとすごいよねきっと。

これなにより梓が泣いてないのがひどいよ。もうけいおんぶのおわりに向けて爆走してんじゃん。最後に梓がすごいことになるのを予感させてるじゃん。やだなーもう。


余談だけど、ドラマのないドラマっていうのがこうやって人気になっていくってのは自分にとっては嬉しいことかなぁって思う。ドラマのない、とは言ってるけどもちろん起伏はあるけど、それが大きくないの。いや、日常ってもうそれだけでドラマじゃん。今日一日の中にも大きさの大小はあれど起伏があるわけだし、わざわざドラマらしいドラマが現れてくる必要なんてないわけじゃん。ちょっと前までこっちではウォーターボーズのドラマの再放送をやってたんだけど、シンクロの講演が教育委員会の指示で中止になったのを撤回するために署名を集めたり、転校生に両親(父親)との不和があったり、動けるデブにトラウマがあったり、とにかく1話1話を盛り上げるためにいろんなギミックがそこここに散りばめられているわけだけど、そういうの全部とっぱらった先に何があるのかって話。ドラマとしてはつまんなくて、だらーっとして眠くなってくるような話になってっちゃうんだけど、そういうのが今のオタク界隈?で盛り上がってるわけじゃん。本当は日常を書くのに日常以外のなんにもいらないんだよ。事件が発生しないとかそういうのを、キャラクターの萌えとかで誤魔化してるからできるんだろうとは思うんだけど、俺はそういうのの方が好きだもん。何書いてるのかわかんないけどまあいいでしょ。


私にもできることが、夢中になれることが、大切な場所がすぐに見つかるから、あの頃の私、心配しなくていいよ、ってのが!の終わりだったのなら、!!の終わりはどうなるんだろう。やっぱりけいおんって唯の成長物語のようなものなんだなぁ。あんまりそういう風に感じたくなかったりするんだけど。「このままでいいよ、このままがいいよ」って歌ってるのに、この三年間を成長の日々だって言うのがどうもしっくりこなくって、成長って言葉があんまり好きじゃないから。
やっぱり、わたしたちはずっとずーっとずぅーっと放課後ティータイムだからねっ!なんだよ。