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深夜の小さな旅

だいたいAM2:30〜AM4:30まで、約2時間ほど深夜の世界を散歩してきた。
目的は「深夜の大学を見に行く」こと。
文系でかつサークル活動をやっていない自分にとって、深夜の大学というところはある種の聖域のような場所だった。自転車で片道約15分、徒歩で約40分の距離は、深夜にわざわざ大学へという気を起こさせないくらいの距離だ。


今日、なぜこんなことを思い立ったか自分ではわからないけれど、「大学を見に行こう」と、そう思った自分に従って、散歩に出かけた。
夏、いや梅雨の時期の夜は思っていたよりも蒸し暑く、気温は20℃前後なのに歩いているとじっとりと汗が体にまとわりついた。確か去年までは、蒸し暑くともここまでひどく汗をかくことはなかったと記憶しているけれど、今年はあまりの汗で髪の毛がお風呂上りに近い状態にまで湿ってしまうこともしばしばだ。


家を出て大通りへ出ると、走っている車の多くはタクシーだった。こんな時間でも明るい大通りを見て、コンビニが営業しているのを見て、女の子が一人で歩いているのを見て、この世界は何かがおかしいけれど、おかしいからこそこうやって安全に一人で散歩できているのだな、と感じた。眼鏡を外すと、街灯の明かりや車のテールランプ、信号機の光はぼやけて見えて、なんだか不思議な感じだった。大通りから少し外れて、道路の真ん中、中央線の上を歩いているとき、僕は世界の中心に立っているような気がして、楽しくなった。


大学へ行く途中に川が流れているので、久しぶりに川沿いへ降りてみようと思い、ケータイのかすかな明かりを頼りに川沿いへ降り立った。川に水が流れる音、虫の声しか聞こえない世界で、ひとり佇んでいると、近くの岩の上に飲み終えたジュースの缶が置いてあるのを見つけた。もしここに誰かが現れたら、僕は恐怖で声を上げて逃げ出したくなる。そんな恐怖を感じながらも、この光景を写真に収めようとケータイのカメラで川を撮ってみるも、真っ暗でなにも映らない。仕方ないから川沿いに転がっている小石を川に投げ入れてみた。ぽちゃん。ふと、一昨年の今の時期、この川沿いで友だちと二人で水切りをして遊んでいたことを思い出した。たった2年前のことなのに、それはとても懐かしく感じた。ケータイのわずかな明かりで平べったい石を探して、2年前に特訓したフォームで小石を放る。ぽちゃ、ぽちゃん。ぽちゃ、ぽちゃん。何度やっても2回以上跳ねない。あのときは最大9回跳ねさせることができたはずなのに。


しばらく川辺に座り込んで水の音に耳を澄ませていたが、じっとりと汗をかいていたので、とっとと目的を果たして帰ろうと思い、大学に向かった。途中のサークル棟の多くの部屋に明かりがついていて、話し声や笑い声が聞こえてきた。あぁ、こういう大学生活もうらやましいなぁ、なんて思いながら坂道を登って、大学に着いた。大学はいつものように電気が付いていて、文系だからといっても研究をしている人もいるからよく考えれば当たり前なんだけど、その当たり前のことを目の前にして驚いた。

とりあえずトイレに入って用を足して外に出てみると、空が少し明るくなっていた。夜が朝に変わる境目。しばらく歩いていると空はどんどん明るくなって、鳥の声が聞こえてくる。だんだんと夜が朝に変わるその時間を、久しぶりに実感した。


大学から家に帰る途中、美術館の駐車場のところにあるベンチで、公園のベンチでそれぞれカップルを見かけた。土曜の夜を一緒に過ごしたであろうカップルたちは、それぞれ身を寄せ合って何かを話していた。それはちょっと素敵な光景で、素敵だからこそ外から見ている僕は寂しくなった。


家の近くの公園では、もうおじさんが体操をしていて、その近くの道路ではお兄さんが車の中で寝ていた。新聞配達のおじさんの乗ったバイクが僕の横を通り過ぎていった。それぞれが、それぞれの日曜の朝を過ごしていた。


そのまま小走りで家に帰り着き、じっとりとかいた汗をシャワーで流し、今ここに今日の小さな旅を思い返しつつ文章にしている。
もっと湿度が低く蒸し暑さがなければ、快適な散歩であったのに。そして、空が晴れていれば、2つの夜の川を比べてより素敵な時間が過ごせたかもしれないのに。この2点が残念だったけれど、約2時間という深夜の小さな旅は、おそらく初めての経験で、そして素敵な経験だった。